On y va !! 読む、ワーママサバイバル

社会人20年、ワーママ歴10年の毎日のつぶやき

プリキュアはどうして戦うのか。

プリキュアタブー」とは、長い歴史を誇る「プリキュアシリーズ」に存在する暗黙の了解の事との事。

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こどもはどこかからか情報を入手してくる。「プリキュアなんて見せたらめんどくさい事(おもちゃを欲しがる)が起きるに違いない。」と思って、最初はプリキュアを見せていなかった我が家。しかし、だんだんと保育園から情報を入手し、見た事もないプリキュアについて語るその姿を不憫に思い、見せてあげる事にした。きっと、同じ事が起きている家庭はチラホラあると思う。

女の子に可愛さを求め、ピンク大好き、キラキラ大好き、そういった偏ったジェンダーを押しつけて来るアニメだと思っていた。

と、この「プリキュアタブー」を見たところ、

「女の子だって暴れたい」というキャッチコピーから始まったプリキュアシリーズ

だそうだ。

最近、ジェンダーに対して意欲的な内容が取り上げられているという事は知っていたけれど、これを見ると、プリキュアが非常にジェンダーに対してセンシティブにかつ大胆に取り組んできた事が分かる。

そんなに頑なに子どもに見せる事を拒否するまでもなかったかな、と思いつつ、なんだかフに落ちない点がある。

 

本当のジェンダーフリーは、女性を男性に近付ける事でもなく、男性を女性に近付ける事ではないのではないか、と。男性と同じ待遇にする事でもないのではないか、と。

その人に対するその人らしさを出す事なのではないかな、と思っている。

 

男の子だって暴れたくない子もいるだろうし、女の子で暴れたくない子もいる。それはそれでその子らしさ。

 

「女の子だって暴れたい」というキャッチコピーが、既にジェンダーフリーのようでジェンダーで凝り固まっているようにも思える。

 

保育園の頃、娘が朝スカートを履きたがっていた。ズボンを勧めると「ズボン履いていくと、○○君に女がズボン履いて変って言われる」そうだ。5歳でこの偏った性感覚。こうやって植えつけられた考えを覆すのは難しい。

 

最近、このジェンダーフリーの答えになる人を見つけた気がする。

それは氷川きよし。最初は「氷川きよしのオネエ化が止まらない」といった記事をよく見た。昔から、その手の噂があったので、事実自体には正直言ってビックリしないが、確かに「女性らしく」なったなと思っていた。

 

しかしその記事から時間が経つと、「男らしさを求められると辛かった」と公言し、演歌だけでなくロックも歌い、「自分」を大事にしつつ、凄くふっきれた姿をよく見るようになった。

 

「男性」であるとか「女性」であるとか、そういった受け止め方がいかに無意味で、氷川きよしは「氷川きよし」であると感じる人が多くなっているのではないだろうか。

 


氷川きよし / 限界突破×サバイバー ~「氷川きよしスペシャル・コンサート2018 きよしこの夜Vol.18」より【公式】

 コメントもすごく好意的なものが多く、興味深い。

本来、カミングアウトには何の意味もないのかもしれない。生物学的な性を公表する事なんて特に必要ではないのかもしれない。

 

その人がその人らしく。ってこんなに難しい。